熊野型古式巣箱「普及版」とは
当初、熊野型古式巣箱の完全な復元も考えましたが、2つの理由で断念しました。一つは巣箱の部材として示された「松の一枚板」を必要量集めることは現代では非常に難しいこと。もう一つは巣箱の仕様設計についての詳しい記述がないため、とくに前戸板(指し戸)部分については想像で作り上げるほかありませんでした。
参照:古式巣箱設計図(メートル法)「解説文の現代語要約」
熊野型古式巣箱とはどのような巣箱だったのか?現代に生かせる良い点は何なのか?を問いながら、入手しやすい杉の板材でそれなりの強度を保つ巣箱を再現できるまでには9機の試作が必要でした。2017年に「普及版」開発に着手してから3年あまり、実際にニホンミツバチを飼育してみておおよそ次のようなことが判ってきました。
熊野型古式巣箱「普及版」の特徴
・戸板を開けて簡単に巣の中の様子を見ることができる。
・王台の観察ができるので分蜂の予知や管理が可能。
・戸板の微妙な開閉で、きめ細かく空気調整と温度管理をできる。
・真冬でも防寒の必要がない。ムシロや段ボールを巻かずによい。
・底板スペースが広いので給餌(砂糖水)容器を置きやすい。
・前後両サイドの戸板が開くのでスムシの掃除がしやすい。
・重心が低いので倒れにくい。
・重い。(空の状態で約13kg)
・持ち手がなく運びづらい形をしている。
・採蜜が初心者には難しい。
甦る江戸時代の技と心
巣箱の機能性についてはおおむね長所が勝っているように思えますが、熊野型古式巣箱に向き合って得られたほんとうの成果は眼には見えない、また違ったものでした。
普及版では村松氏の記述にしたがって形状と外観は江戸時代そのままの巣箱を再現したわけですが、なぜ前方戸板が巣箱の面(ツラ)から3寸(9㎝)奥まっているのか?本当の理由はよくわかりませんでした。
雪の降るある日、私(山口)は巣箱のようすを見に山に入りました。重箱式の巣箱は何事もなく立っていたのでホッとしていると突然横殴りの吹雪が巣箱を包みました。私はとっさに傍にあったベニヤ板を巣箱の入口にあてがっていましたが、そのつい立を見た次の瞬間はたと気がつきました。熊野型古式巣箱の前方の形は、吹雪のような過酷な自然現象からミツバチを守ろうという、江戸時代の人々の優しい気持ちの現れだったのではないかと。
熊野型古式巣箱の板厚が現代のセイヨウミツバチの巣箱のほぼ2倍にあたる一寸(3㎝)あるのも同じ理由に違いありません。もちろん、養蜂経験者であれば誰しもミツバチを飼わずとも図面を見ただけでそのていどのことは察しがつきます。しかし、実際に厳しい環境のなかで飼育を経験することで江戸時代の飼育者の心境が実感としてわかったのです。「腑に落ちた」ということです。
また『工農業事見聞録』には採蜜についての項で「蜜を切り取るとき蜂の当分の食料分の蜜を残し、その残りを切り取るのである」とも記されています。蜜を全部取ると蜂が弱り全滅する可能性があるためで、あるていど残してミツバチを来春まで生かせばまた蜜を取れるという合理的な判断といえます。こうしたことから明らかなのは、江戸時代の人々はじつによくミツバチのことを観察していたのであろうということです。おそらく日々ミツバチの成長を見つめ、ミツバチを大事にしようという思いが自ずと巣箱の板厚や形、採蜜のしかたにも現れたのだと見るべきでしょう。200年前の人々の思いに触れ得た感動は、巣箱の再現作業のなかで私にとってもっともかけがえのない貴重な体験でした。