熊野型古式巣箱とは

200年前の設計図

江戸時代後期・文政2年(1819)から文政4年(1821)にかけて、能登の一百姓である村松 標左衛門(1792‐1841)が加賀藩の命を受け関西(京都・大阪・紀州を中心とした五畿)および日光、江戸の経済先進地を視察し『工農業事見聞録』全7巻を上梓しました。その中の「蜂蜜取やうの事(蜂蜜の採り方)」という章で「紀伊国熊野あたり~大和国吉野郡の山里で養われているミツバチの箱」として図面付きで記されている巣箱があります。

村松 標左衛門著『工農業事見聞録』「蜂蜜取やうの事」より

「熊野型古式巣箱」とは、この巣箱について弊会が地域性と時代性を明確にするため便宜的につけた呼称です。私どもは200年前の村松氏の記述をもとに2017年から巣箱の復元を試み、9機を試作しました。さらに復元した巣箱で当時と同様に在来種であるニホンミツバチを飼養し、とくにその機能性についての研究を続けています。

試作した巣箱の一部

村松 標左衛門著『工農業事見聞録』とは

農村においてさまざまな農産物、工産物を作るための実用的教本といえる書物です。
巻一「染物について」、巻二「生活用品について」、巻三「農家の仕事について」、巻四「土や石を材料とした細工物について」、巻五「顔料について」、巻六「金属製品について」、巻七「飲食・衣服について」と七つの部門で構成されています。

各章で取り上げられているのは、染物、紙すきの技術や原材料となる藍やミツマタの栽培法、農機具の製造法、また朝鮮人参などの薬種の栽培、サトウキビなどの特産品の製造方法、さらには眼鏡、鉄砲といった専門性の高い知見を要するものまで多岐にわたります。

「蜂蜜取やうの事(蜂蜜の採り方)」は巻三「農家の仕事について」に収められていて、巣箱の設計図のほかミツバチの生態や飼育法、越冬時の注意点、ハチミツ採取の技術、販売価格、蜜蝋の製法などについても記されています。

村松 標左衛門という人物

村松氏の視察旅行の目的は窮乏化する加賀藩の財政再建のため、産業振興策に役立つ農産物や工産物についての情報を収集することでした。身分は一百姓とはいえ村松氏は能登の豪農であり、本草学者・小野蘭山(1729‐1810)に師事した博覧強記の学者肌の人物でした。前年の文政元年(1818)に加賀藩の産物方植物主付(さんぶつかたうえものぬしづき)、つまり今でいう産業振興部署の農務課に異例の抜擢をされ、受けた特命が各地の地場産業視察なのでした。

『工農業事見聞録』「蜂蜜取やうの事」の章は文字数では一千字あまりと、他の章に比べてけっして分量的に多くはありません。しかし、とくに現地取材による巣箱の実測値が記された事実上の「設計図」と解説はきわめて貴重な史料です。また記述内容に「『日本山海名産図絵』によると」、「『大和本草』によると」という考察が加えられている点からも、村松氏が高い見識に基づき現地調査および成果の編纂までを行ったことが伺えます。
弊会では『工農業事見聞録』に記された当時の巣箱の記録を養蜂文化の観点から高く評価しています。ここに巣箱の設計図とデータを公開し広くこの史料が活用され検証されることを期待します。また、多くの著作を遺した村松 標左衛門という人物とその功績について、多方面から再評価がなされることを望んでいます。
以下、メートル法に直した設計図と巣箱解説の訳文要約です。

熊野型古式巣箱の設計図

熊野型古式巣箱の寸法

A 33.3cm (13.1inch)
B 60.6cm (23.8inch)
C 45.3cm (17.8inch)
D  9.0cm (3.5inch)
E 27.3cm (10.7inch)
F 39.3cm (15.4inch)
板厚 3.0cm (1.1inch)
※小数点第二位切り捨て

解説文の現代語要約

・入口は巣箱の端から三寸(9cm)奥にあり戸板が立てられている。
・指し戸(前方戸板)は両脇の板に片側2本ずつ竹釘でとめられている。
・後方の板は取り外せる巣箱もあるがミツバチが出入りする穴はない。
・板は一枚板がよく、板を継ぎ合せるのは避けたほうがよい。
・板材は松がよい。厚さは一寸(3cm)で鉄釘でとめる。
・穴はミツバチの出入り口で、数は1つから5つのものまで見られる。

熊野型古式巣箱「普及版」とは

『工農業事見聞録』に記された形状・寸法をもとにできるだけ熊野型古式巣箱を忠実に再現しつつ、現代のニホンミツバチ飼養に適するよう私どもが開発した巣箱です。
熊野型古式巣箱普及版

当初、熊野型古式巣箱の完全な復元も考えましたが、2つの理由で断念しました。一つは巣箱の部材として示された「松の一枚板」を必要量集めることは現代では非常に難しいこと。もう一つは巣箱の仕様設計についての詳しい記述がないため、とくに前戸板(指し戸)部分については想像で作り上げるほかありませんでした。
参照:古式巣箱設計図(メートル法)「解説文の現代語要約」

熊野型古式巣箱とはどのような巣箱だったのか?現代に生かせる良い点は何なのか?を問いながら、入手しやすい杉の板材でそれなりの強度を保つ巣箱を再現できるまでには9機の試作が必要でした。2017年に「普及版」開発に着手してから3年あまり、実際にニホンミツバチを飼育してみておおよそ次のようなことが判ってきました。

熊野型古式巣箱「普及版」の特徴

・戸板を開けて簡単に巣の中の様子を見ることができる。
・王台の観察ができるので分蜂の予知や管理が可能。
・戸板の微妙な開閉で、きめ細かく空気調整と温度管理をできる。
・真冬でも防寒の必要がない。ムシロや段ボールを巻かずによい。
・底板スペースが広いので給餌(砂糖水)容器を置きやすい。
・前後両サイドの戸板が開くのでスムシの掃除がしやすい。
・重心が低いので倒れにくい。

・重い。(空の状態で約13kg)
・持ち手がなく運びづらい形をしている。
・採蜜が初心者には難しい。

前後の戸板を開けた状態。向こう側にもゴミを掃き出せるのでスムシの除去掃除がしやすい。

甦る江戸時代の技と心

巣箱の機能性についてはおおむね長所が勝っているように思えますが、熊野型古式巣箱に向き合って得られたほんとうの成果は眼には見えない、また違ったものでした。

普及版では村松氏の記述にしたがって形状と外観は江戸時代そのままの巣箱を再現したわけですが、なぜ前方戸板が巣箱の面(ツラ)から3寸(9㎝)奥まっているのか?本当の理由はよくわかりませんでした。
雪の降るある日、私(山口)は巣箱のようすを見に山に入りました。重箱式の巣箱は何事もなく立っていたのでホッとしていると突然横殴りの吹雪が巣箱を包みました。私はとっさに傍にあったベニヤ板を巣箱の入口にあてがっていましたが、そのつい立を見た次の瞬間はたと気がつきました。熊野型古式巣箱の前方の形は、吹雪のような過酷な自然現象からミツバチを守ろうという、江戸時代の人々の優しい気持ちの現れだったのではないかと。

ミツバチを吹雪から守るため思わずベニヤ板を立てた。2018年1月31日
入口が先端から3寸(9cm)奥に設計されている熊野型古式巣箱(普及版)

熊野型古式巣箱の板厚が現代のセイヨウミツバチの巣箱のほぼ2倍にあたる一寸(3㎝)あるのも同じ理由に違いありません。もちろん、養蜂経験者であれば誰しもミツバチを飼わずとも図面を見ただけでそのていどのことは察しがつきます。しかし、実際に厳しい環境のなかで飼育を経験することで江戸時代の飼育者の心境が実感としてわかったのです。「腑に落ちた」ということです。

また『工農業事見聞録』には採蜜についての項で「蜜を切り取るとき蜂の当分の食料分の蜜を残し、その残りを切り取るのである」とも記されています。蜜を全部取ると蜂が弱り全滅する可能性があるためで、あるていど残してミツバチを来春まで生かせばまた蜜を取れるという合理的な判断といえます。こうしたことから明らかなのは、江戸時代の人々はじつによくミツバチのことを観察していたのであろうということです。おそらく日々ミツバチの成長を見つめ、ミツバチを大事にしようという思いが自ずと巣箱の板厚や形、採蜜のしかたにも現れたのだと見るべきでしょう。200年前の人々の思いに触れ得た感動は、巣箱の再現作業のなかで私にとってもっともかけがえのない貴重な体験でした。

雪の山中でじっと春を待つミツバチの巣箱。2018年1月31日 東京・高尾にて

謝 辞

巣箱の復元にあたり、資料についての再三の問い合わせにいつも心よく応じてくださった村松 標左衛門研究の第一人者、清水隆久先生に心から感謝を申し上げます。

『百万石と一百姓 学農 村松 標左衛門の生涯』清水隆久・著 農産漁村文化協会
『埋もれた名著「農業開奩志」 村松 標左衛門の壮大な農事研究ノート』清水隆久・著 石川農書を読む会
『工農業事見聞録』巻一~巻四 日本農書全集48 農産漁村文化協会
『工農業事見聞録』巻五~巻七 日本農書全集49 農産漁村文化協会